続きです。
「君の名は」の背景をもっと詳しく知りたい場合はこの小説を読むといいです。
新海誠監督の書いた小説 君の名は。 (角川文庫)もあるんですが、だんぜん角川スニーカー文庫の方がいいです。
これを読むと映画で描かれなかった部分が補完されます。まさにanother sideといった感じです。
映画でこぼれ落ちたストーリー
スニーカー文庫の「君の名は」は映画の補完版です。
映画でこぼれ落ちてるストーリーが拾われてて、「そういうことだったのか!」って思う部分が詰まってます。
・三葉の中に入ってる瀧くん視点
・テッシー視点
・四葉視点
・お父さん視点
の4本立てで描かれているストーリーなんですが
三葉の髪型ってそういう意味があったんだー!とか
テッシー、爆破についてそんなふうに思ってたんだー。とか。
映画と違って、それぞれの視点で描かれてるから、それぞれの心の機微がよくわかります。
たとえば三葉のあの髪型は「髪の毛をこの形に結わないかぎり、人前には出ない」って決めているんだそうです。
サヤちんはそんな三葉の髪型について「あれはね、ああやって自分で自分を縛っとるのよ、わざと」と言います。
なるほど、たしかに。
町中が氏子の神社の跡取り娘で、父親が町長で、全員に顔と名前が知られているという立場だから、ちょっとでもだらしなくしていれば、すぐ誰かからチェックが入るから、きっちりしていよう。後ろ指を指されないようにしよう。そういう気持ちがあらわれていたんでしょうね。
あと、テッシーが糸守町について愚痴りまくる女二人に「お前らなぁ!」ってちょっとイラついた口調で「カフェ」と言い張った自販機に連れて行くくだりに、そんな思いがあったとは。
男には男のロジックがあって、それを口にしないのね。
いや、言えよ!気づかないから女は!って感じでしたよ(笑)
そんな映画ではこぼれ落ちてしまった部分の補完をしてくれる小説でした。
でねでね。
この本を読んで、私の中でいちばんテンションが爆上がりだったのが。
お父さん視点の物語です。
映画の中では嫌な父親という役回りでしか出てなかったお父さんだけど。
そういう背景があって、あんな態度をとってたのね、ってのが分かります。
お父さんにはお父さんの歴史があって、今がある。
あの人がそうするにその人なりの理由があるんだなぁっていうのが分かりました。
そういう「背景」を描いているのって好きなんですよね。
ドラマで言うと野木亜希子作品の「アンナチュラル 」や「MIU404」なんかも犯罪者だってそれrをするだけの背景や理由があったりする。
たとえばニュースで男子高校生がなんども110番していたずらしていた。
なんて流れたら、しょーもない。何してんだよ、そいつら。
なんて言って安易にSNSで叩いたりするけれど、もちろんいけないことだけど、そこには語られないその人たちの理由や真実があって、それを知ってるのと知らないのとでは大きく見え方が違うんだなっていうのを思い知らされたりします。
そして映画を3回見て、最後まで納得いかなかった
「え?けっきょく糸守の人たちは避難間に合ったの?え?もう彗星落ちてきてたよね?え?え?なんか知らないうちにまた時間戻ったりしたの??」の部分が解明されました。
そこが解明されると知って、読み始めた本だったので、すっきりします。
深淵な神話の世界が垣間見れる
あ。でもテンション爆上がりだったのはその謎だった部分が解けたからじゃなくて
宮水神社の御祭神と、その神様が何を成したかって話について萌えました。
神話の話に繋がっていってしまうんですが、ご興味ある方はぜひお付き合いください。
まず日本神話の大前提として
・天の神様(天津神(アマツカミ))と地の神様(国津神(クニツカミ))がいます。
天津神のトップがアマテラス(伊勢神宮)です。
国津神のトップがオオクニヌシ(出雲大社)です。
で、まあなんやかんやあって、天の神様と地の神様はちょっとぎくしゃくしてるんですよ。
簡単に言うと、地の神が治めはじめていた日本を、天の神様たちがあるとき「もともと私たちがつくった国だから返してもらおーっと」って言い出して一悶着があったんですよね。
そのやりとりのなかで、位の高い天の神様でもなかなか倒せなかった神様がいて、それがアメノカガセオっていう星(彗星)の神様なんですが。
その英雄神たちでも倒せなかったアメノカガセオを、なぜか機織りの神の
シトリノカミが倒せたっていう話があるらしいんですね。
で、宮水神社の御祭神がシトリノカミなんです。
その宮水神社に若かりし頃の三葉の父が民俗学の研究者としてやってくるわけですよ。
その若かりし頃のパパとママの神様談義がとてもとても萌だった。
・天孫系の神様を祀っている神社なのに、パパが宮水神社を訪れたとき、耳にした祝詞が「出雲系」の祝詞だった。
え?
天津神を祀ってる神社なのに、出雲の祝詞採用しちゃった?
と、パパは思うわけです。
でも、なぜなのかはママも分からないという。
なぜ分からないかというと「繭五郎の大火」でいろんな文献が焼けてしまったから。
ママ曰く、そのタイミングで焼失した祝詞を何かを参考にして再生しなければならない状況になって出雲から借用したのだろう。おおらかですよね、と。
そこで、パパの中でひとつの仮説が生まれるんです。
・200年前、出雲の祝詞を導入して違和感を覚えなかった、むしろしっくりきていたということは宮水神社の信仰の精神にそもそも国津神と通ずるところがあったのではないか。
・シトリノカミ(天)は天津神系だから、国津神と通ずるところがあるというのは考えにくい。しかし、そのシトリノカミと対になるアメノカガセオだったら国津神と通ずるところがあったのではないか。
・アメノカガセオは星の神だから天津神(のはず)
けど、天津神たちと敵対してた、服従しない反抗する神だから国津神のような性格を備えていた、かも。
(ほかにも天津神系の人たちが国津神系になることは神話の中でちょいちょいある)
てことは、あれ?
【仮説】
宮水神社、もとはアメノカガセオを信仰する星神社だったんじゃね?
という仮説がパパの頭の中に浮かぶひらめき💡
・古語でヘビ=カガシ
・カガセオはカガシの転訛で天ノカガシオは空のヘビ=竜
・アマノカガセオは星神でありながら竜。
・ひょっとしたら組紐は元はヘビを表すものだったかもしれない。
そんな村に隕石が落ちる。
・糸守湖は隕石湖。隕石が落ちてできた湖。
・星神信仰を持つ村に、星が落ちて、大災害が起きる。
・神に裏切られたという形だったかもしれない。
・その穢れを祓うために信仰の取り替えが行われたのかもしれない。
その結果、それまでのアメノカガシオ信仰が捨てられ、
その天敵であるシトリノカミが導入されたのでは?
という経緯があって御祭神がシトリノカミ(天)となった宮水神社だからこそ、出雲系(国)の祝詞が採用されても違和感がなかったのではないか。
というのが、パパの仮説。
その説を聞いて、ママも、「論理に矛盾はない」という。
けど、巫女の勘として肌感覚としてしっくりこないなぁ・・・。
っていう、若かりし頃のパパとママが話に花を咲かせるというシーンがあったんです。
信じようとしていたものに裏切られた仮説を立てたパパもまた…
説明長くてついてこれなかった人もいると思いますが、そういう人はもう読んでいないと思うので(笑)
ここまで読んでる人は、けっこうこれ系の話テンション上がる系ですね?さては(笑)
(小説版読んでもらえれば、しっくり入り込めると思いますので、ぜひそちらをご一読ください)
まあ、この説自体も楽しいんだけど
この説が合ってるか間違ってるかっていうこともさることながら、
「神に裏切られて信仰対象の取り替えを行ったのではないか」って発想をするパパがまさに信じようとしていたものに裏切られたという思いを味わう展開とかがあったりしてね。
なかなかなかなか興味深いスピンオフ小説でした。
神話のエッセンスが入り込むことでぐんと面白くなる物語
私、こういう「神話」をモチーフにする話に惹かれる傾向にあります。
新世紀エヴァンゲリオンもそうだしね。
今年公開予定でしたよね。いつになるんでしょうねぇ。
でもまあ本当にこの数年中には見られそうなのであんまり心配はしていませんが。
(年単位(笑))
旧約聖書とか全然、ほんっとにぜんっぜん無知なんですが、そういう雰囲気が含有されてるのを感じるだけでズズズズズズとテンション上がるんです⤴︎
でも、ダ・ヴィンチコードとかそこまでテンション上がらず(笑)
キリスト教の知識が足りなさすぎて、萌えポイントが分からなかったのよね。
いろいろ文化や背景分かってたら、萌え萌えだった匂いはするのだけど…。
作り手が海外の人か日本人かで含有してる成分量が違った結果と言えるかもですね。
あ、ちなみに私、古事記はこれで
源氏物語はあさきゆめみしで理解している人間です。
大筋はまちがってないかなと思いますが・・・どうだろ(笑)
まあ、「史実」もどれくらい真実かってわかんないとこあるから
マンガで理解は、ありよりのありだと思います。