【2話のあらすじ】
伊吹(綾野剛)と志摩(星野源)がパトロールをしていると、伊吹が隣を走る車に違和感を抱く。そんな中、警視庁から殺人事件の容疑者が凶器を持って逃走しているという無線が入る。容疑者の特徴から伊吹は、隣の車に容疑者が乗っているかもしれないと察知し、追跡する。
二話のネタバレストーリーを心のおもむくままに綴る
パワハラ専務を刺殺したと思われる被疑者が
近くにいた車に無理やり押し入って、持ち主夫妻を凶器で脅して逃走。
被疑者に脅されて車を運転していた夫婦は
子供を自殺で亡くしていて、今日がその十三回忌の命日だった。
(お父さんは鶴見慎吾)
当時中学2年生のその子のクラスメイトの財布からお金が盗まれた。
息子が疑われて、鶴見パパはその子を信じてあげられなかった。
話も聞かずに謝らせた。
それが原因だったのかどうかはわからないけれど。
他にもいろいろなにかがあったのかもしれない。
でも結果としてその子は自殺してしまった。
死んでしまったあとで、やったのは息子ではなかったということが判明。
夫婦に残されたのは「息子を信じてあげられなかった」という後悔の念。
そんな車に乗りこんだ、被疑者の加々見。
頭を押さえつけて幼少期の加々見くんを執拗に謝らせた父親。
頭を押さえつけてパワハラをしてきた専務。
実際はやっていなかった罪で、息子に頭を下げさせた鶴見パパ
自殺した息子を信じてあげなかったことを悔い続けた鶴見パパ・ママ。
実際まあ、加々見くんは専務を殺していたわけなんですけれども。
そこが判明するまでのセリフとか見せ方とかがとっても唸らされるところでしてね。
加々見くんは「やってない」とは名言してないんですよ。
でも、「やってしまった」自分を認められない。
自分でも衝動的にやってしまったことだから、犯してしまった罪を信じられない。信じたくない。
なかったことにできるのならばなかったことにしたいという思いが自分の中で交錯しているんですよね。
その様子が本当に見事に描かれていて、脚本もさることながら
松下洸平くんの表情とか、戸惑いの目とかが秀逸です。
加々見くんがやったのかやっていないのかまだ視聴者も分かっていない状況で見ると加々見くんの表情は、
自分の無実を証明するためには、恩人である岸の罪を明らかにしなくてはいけないという葛藤の表情に見えるわけですよ。
でも、加々見くんがやったということが明らかになってから見ると
なかったことにできるのならばなかったことにしたい。
殺人なんてありえない犯罪を犯してしまった自分が信じられない。
この人たちは自分の無実を信じてくれる。
どうしよう、っていう表情なんですよね。
ちゃんと矛盾しないのに、ちゃんとどちらの意味も通ってしまう演技と演出になっているんですよ。
まじどうなってんの製作陣(好き)
鶴見パパ・ママはそんな加々見くんを逃してあげるんですよ。
彼はやっていない、彼は無実だ
あの時自分の息子に言ってやれなかった言葉を、加々見くんに言うことで自分たちの傷を癒している。
そこで
「人は信じたいものを信じるんだよ!」と言い放つ志摩(星野源)
背景にメインとしている富士山が美しい映像でしたね。
そう。
人は信じたいものを信じる。
伊吹も田辺さん達も
加々見はやってないと信じたかった
「俺はやってない」
犯人がそういう時多くはごまかすためにやる、捕まりたくないから。
だけどもう一つ、犯人自身がやっていないと思いたい。
自分のやってしまったことを認めたくないんです。
できることなら罪を犯す前に戻りたい。
なかったことにしたい
でも時は戻らない!
それを言っている志摩(星野源)がどうやら
なにか相棒を死なせてしまうような過去を持っていて、それを後悔していて、いつも疑われる、信じてもらえない伊吹(綾野剛)が、ようやくそこで加々見をフラットな視点で見ようとするようになる。
それぞれの立場で、それぞれのバイアスがどうしてもあって。
その思いの交錯をここまであからさまに描くとどうしてもわざとらしくなりかねないところが、こんなに巧みに引き込まれる映像として仕上がってるって、すごくないですか?
その後の加々見の実家で自分を虐げてきた父親へ悪態をつく松下くんの演技も本当に心打たれるものがあって、そこからするすると絡まった糸が解けていくようにいろいろな状況が見えていく一話完結のこのドラマの畳み掛けるような種明かしと人々の思いのやりとりがどこも見逃せなくてとくにラスト15分は大変です。
たぶん、これ毎回ラスト15分大変です(笑)
その15分を楽しむためにも前半45分も見逃せなくて大変です。
野木さんや源さんが「どこの見逃せないですよ」って言ってた意味がわかりましたよ。
ほんと、見逃せないし、2回見ても3回見ても楽しめる。
見落としていたところが目に入るから。
そういうドラマです。
ラスト加々見くんが罪を認めて、連れて行かれる時
鶴見パパとママが泣きながら加々見くんに声をかけるシーンが、また圧巻でした。
ごめんね最後まで付き合うって約束したのに
いつかまた3人でドライブしよう
今度こそうどん食おう
ごめんね!
ごめんね!
富士山、パトカー、加々見のショットに響く
「お父さん」のごめんね
ずっと顔を見れずに無視して通り過ぎた加々見くんに届いて
加々見くんが深く、深く頭を下げる
とともに一瞬のポーズ(空白)ののちに流れ出す
米津玄師の「感電」
全部がぐわっと気持ち持っていくように出来上がってて、…ずるいわぁ(泣笑)
父親への恨みで包丁突き立てる
憎しみが氷解するのを視聴者も感じる場面。
こんな思いをしてなくても
もっと辛い思いをした人も
おそらく自分の中にあったなんらかのわだかまりだとか
忘れていたしこりのようなものがするっと溶けていく
そんな感覚を味わった人も少なくないのではないでしょうか。
これは泣くしかない。
MIU404第二話 美しい映像ポイント
いくつかありましたけど、光がポイントですよね。
映像ってそう言うものかもしれないですけど。
山梨にはいって、車の中で加々見がとつとつと状況を語る中で
岸が犯人っぽい流れの話をしてしまったけどどうしよう。
という加々見の視線の先にとてもきれいな富士山とかね。
富士山の前で嘘をついてはいけないような気がする日本人マインドが見え隠れしましたよね。
あんな綺麗な富士山の前で俺はどうしてるんだ、っていうね。
そんな太陽光と表情を見ていたら
「Nのために」が思い出されて、急激にNのためにを見たくなっている私です(笑)
そういうね、「光」と「やましさ」がちょくちょくあって
この事件、犯行時間が「朝」なんですよね。
刺殺した時、犯人の背後に光る朝日。
朝日に照らされた中での犯行ってなかなかないですよ。
衝動的な犯行で、加々見くんの動揺も伝わりますよね。
対照的な絵。
朝日と殺人。
お天道様が
日本一の富士の山が見ている
そんなコントラストが、セリフや表情にはならない背景を見事に象徴してくれていたんだと思います。
生きるためにたくましく食べる
あー、腹減ったなぁ。
なんか食いにいくべ
山梨っていったら?
ほうとう
うんまぁ。
うぁ、うまいなぁ。
食べるシーン。
生きてるのを感じるシーンですよね。
生きる喜びとかそういったものもあるだろうけど。
どんな時でも「食べる」たくましさ、みたいな。
そういった食べるシーン。
アンナチュラルの時もそうでしたけど、
何があっても食べる
どんな時も食べる
元気を出すために食べる
そんなシーンが悲しいだけじゃない現実を見せてくれます。
そこで、冒頭で伊吹(綾野剛)が志摩(星野源)に要求していた謝罪。
「謝ってもらってない。俺を殴ったよな?」
「暴行傷害。殴ってごめんなさいSAY」
それをここで回収
「殴って悪かった、ごめん」
憎いなぁ。
冒頭の謝罪が、「ごめん」を言いたかった夫妻と言われたかった青年の物語を経て、志摩と伊吹の中でもひとつ完結するって
しかもそれを伊吹に茶化されて
「撤回」っていう志摩に対して
「時は戻らないよ」っていう言葉を意味深に受け止める二人がまた。
志摩の闇に迫っていくのね、っていうのを匂わせてて
うまくない〜?
第三話も今から楽しみです。
なんたってアンナチュラルの
毛利コンビが出るのよ?
めっちゃ楽しみ!(>▽<)